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東京高等裁判所 昭和24年(新を)2684号 判決 1950年6月10日

控訴人 被告人 渋谷正午 外一名

弁護人 三輪寿壯 外二名

検察官 渡辺要関与

主文

本件控訴はいづれもこれを棄却する。

理由

弁護人三輪寿壯外二名の控訴趣意書中被告人長谷川重次郎の分について、

第二点(一)論旨は被告人長谷川の投石は被害者高沢にこれを的中させる目的でなく同人を驚かしてやる目的で同人の五、六歩手前を狙つて投石した或は投石した石が高沢に当るかも知れないという程度の認識わあつたとしてもそれを否定する認識の方が相当強く働いて居ると見るべきであり認識ある過失と見るのが相当であるといい暴行の事実を否定するのであるが、暴行とは人に向つて不法なる物理的勢力を発揮することで、その物理的力が人の身体に接触することは必要でない。例えば人に向つて石を投じ又は棒を打ち下せば仮令石や棒が相手方の身体に触れないでも暴行は成立する。群衆の中に棒を揮つて飛込み暴れ廻われば人や物に衝らないでも暴行というに十分である。して見ると右暴行の結果石や棒が人の身体に衝りこれに傷を負わせることは暴行の観念から離れ傷害の観念に移行包攝せられるものというべきである。記録によると被告人等は同僚で仲良しである被害者高沢賢太郎を驚かす目的で悪戲けて夜間同人に向うてその数歩手前を狙うて四五十米手前から投石したことが認められるが石は投げた所に止るものでなくはねて更に同方向に飛ぶ性質のものであるから数歩手前を狙つて投げても尚高沢に向つて投石したといい得るし投石の動機がいたづらであつても又その目的が同人を驚かすことにあつても投石行為を適法ならしめるものでないから右被告人等の投石行為は高沢に向つて不法の物理的勢力を発揮したもの即ち暴行を為したものといい得る。而して傷害罪は暴行がありその結果傷害が生ずれば即ち成立し傷害の結果に対して認識することを要しないことは已に幾多の判例の示すところであるから仮令被告等がその投石が高沢には衝らないであろうと予想していたとしても、これは傷害の結果に対する認識に関することで傷害罪の成立には影響がない。論旨は投石の場合その人が身体に衝るまでを暴行の観念に包含せられるものとし被告人等に石が高沢に衝ることを予想しなかつた理由で暴行の意思を否定するのであるが右の理由からしてこれを採用しない。但し右の予想なきことは犯罪の成立には影響ないとしても犯情には重大なる差異を生ずるものであるが記録によると被告人等には投石が高沢に衝るかも知れぬという未必の故意があつたものと認められる。原審公判廷において被告人等はこの点を否定しているが人に向つてその数歩手前に投石すれば或は人に衝るかも知れぬと予想するのが常例であり特別の事情なき限り衝らないと思うとは条理に反し採用し難い。論旨はそれ故に理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 保持道信 判事 山田要治 判事 鈴木勇)

控訴趣意書

第二点原判決は判決に影響を及すことの明らかな事実の誤認があり破毀を免れない。

(一)原判決は「被告人両名は共謀の上昭和二十四年七月二十日午後九時五十分頃新潟県北蒲原郡加治村所在羽越線加治駅南部の転轍番舍附近において高沢賢太郎に対して些細なことから各々小石を投げつけて同人の頭部に小石一箇を命中させ同人に対し同晩から翌二十一日正午頃に至るまで頭部に痛みを感じさせる傷害を負わしたものである」と事実を認定している而してその証拠として検事作成の高沢一彦富沢光助高沢賢太郎各供述調書被告人長谷川重次郎同渋谷正午の各供述調書及び証人高沢賢太郎の原審公判廷における供述を各々その証拠として援用している然し乍ら原審公判廷に顕出された証拠を仔細に検討して見ると被告人が果して被害者高沢賢太郎に対し同人に的中せしめる目的で小石を投げたか否か即ち本件被告人の犯罪行為時に於ける認識状態が所謂未必的故意であるか認識ある過失であるかは極めて微妙であり本件に於ては寧ろ認識ある過失の事実を認定すべきである即ち原判決中被告人の傷害の故意を認定すべき証拠は被告人長谷川重次郎の検察官に対する供述書であつて同供述書によると「高沢賢太郎の合図灯に石を投げれば高沢賢太郎に当ることは判つて居ましたがあたつてもかまわないびつくりさせてやろうと思つて投げました」と述べて居り恰も被告人が高沢賢太郎に小石を的中させる目的で投げたかの如くなつて居る。然し乍ら被告人が原審公判廷において供述しているところを見ると検察官の問に対し「私としては彼に暴行や被害を加える意思などはなく高沢には当らないようにおどかしてやろうと石を投げたのであります検事さんの調べの時は「同じ方向へ投げれば当るのではないかといわれそのように思つたのですが高沢には当らないように投げたつもりであります」と述べて居て決して高沢賢太郎に的中させるつもりではなかつた旨供述して居りこの点に関しては原審相被告渋沢正午においても検察官の「どこを目標にして投げたか」との問に対し「高沢に当らないように合図灯の五、六メートル前を目標にして投げました」と答えており、然も被告人と被害者との関係は同じ駅に勤務する同僚であつて平素仲のよい間柄であることは弁護人が相被告人渋谷に対し「被告人と高沢とはどういう関係か」との問に対し「同じ駅の同僚であります」と答え「平素仲のよい方か」との問に対し「いい方であります」と答え同様にして被告人長谷川に対し「今相被告人が述べたところはどうか」との問に対し大体その通りでありますと答えている点及び弁護人の問に対し被害者高沢が「打明け話をするような親しい仲であります」と答えている点等を考察しても明瞭である故に被告人長谷川及び相被告人渋谷等に於ては何の遺恨もない親しい同僚である高沢に故意に小石を適中させる等のことはなす筈はなく同人等が述べている如く真実「身体や合図灯に当つても困る」という気持であつたのである。わざと「合図灯の五、六歩手前で落ちるように投げた」のである。

故に被害者高沢賢太郎の原審公判廷に於ける供述においても正に被告人等の供述と符を合するのである。即ち被害者に当つた石は記録三七丁に明らかな如く被害者は「石がたくさん飛んで来たので横を向いて姿勢を低くしたとき一間半か二間程先に落ちてはね返つたのが当りました」と述べて被害者に対して飛んで来た石が二三間先に落ちた事を述べているのである。

右によつて見ても被告人は決して高沢に的中させる目的でやつたのではなく或は投げた石が高沢に当るかも知らないという或程度の認識はあつたとしてもそれを否定する認識の方が強く働いて居たと見るべきであり認識のある過失と見るのが相当である。然るに原判決はこれを傷害の故意犯として事実を認定したのであるからこれは判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であり到底破毀を免れないものと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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